「マイケル・コリンズ」'96 ニール・ジョーダン/監督&脚本

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アイルランド独立運動の指導者マイケル・コリンズの伝記的映画。
2005年現在アイルランド本国では第2位、アイルランド制作の映画に限ると第1位の興行収入を記録。ヴェネチア映画祭金獅子賞授賞。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

あらすじ
1916年。12世紀以来英国に支配されたアイルランド。独立を求めてマイケル・コリンズ(リーアム・ニーソン)は、イーモン・デ・ヴァレラ(アラン・リックマン)ら指導者のもと、「イースター蜂起」と呼ばれる武装蜂起を決行するが失敗した。釈放されたコリンズは同志で親友のハリー・ボーランド(エイダン・クイン)、配下のジョー・オライリー(イアン・ハート)らと語らい、「アイルランド義勇軍」なる親衛部隊を率いて、新たな独立運動を展開。


処刑をまぬがれたヴァレラを獄中から救出し、協力者となったネッド・ブロイ警部(スティーヴン・レイ)の手引きで英国警察の諜報網をつかんだコリンズは、命知らずの青年たちに命じて英国の官憲たちを暗殺していくなど、大胆な戦略で敵を翻弄、独立運動を支えた。そんな彼の安らぎは、彼とハリーを見守る同志の女性キティ・カーナン(ジュリア・ロバーツ)の存在だった。


英国は切れ者のソームズ(チャールズ・ダンス)率いる冷酷無比な予備隊「ブラック&タンズ」を送り込み、暗黒政治を敢行。コリンズは予備隊の幹部らを暗殺して反撃するが、ブロイは拷問されたあげく殺された。
21年、ついに英国が休戦を布告。デ・ヴァレラの命令でコリンズは交渉役として英国に赴く。


だが、アイルランド自由国の独立は認めるが国の分断と英王室への忠誠を求めるという条約をめぐり、賛成派と反対派が決裂、国内は二分。デ・ヴァレラは反対派の領袖となり、ここに内戦がはじまった。反対派についたハリーは暗闘の中死んだ。キティと結婚の約束をしたコリンズは、周囲の反対を振り切り、停戦条約のため反条約派の総本山ウェスト・コークへ。デ・ヴァレラとの会談が目的だったが、コリンズは血気にはやった青年たちから成る謀反者の待ち伏せにあい、頭を撃ち抜かれて死亡した。22年8月22日。享年32歳。葬儀には多くのアイルランド国民が参列した。

マイケル・コリンズ(1996) - goo 映画

映画として良くできた作品だと思う。主演のリーアム・ニーソンが「マイケル・コリンズ」の苦悩する内面をよく演じているし、ジュリア・ロバーツのいつもとは違う演技に俳優としての幅の広さを感じる。


フィクションの部分はあれど、アイルランド国民orケルト民族の苦難とイングランドというか英連邦の弾圧は十分に伝わってくる作品だ。また、歴史にはよくあることだが、勝者になれば英雄、敗者ならば国賊・暗殺者・テロリストとなってしまうことだ。
本作で、マイケル・コリンズは悲劇の英雄であるが、英連邦から見ればどうなのだろうか?

アイルランドの独立史に関しては、不案内なので個人的なコメントは控えますが、近現代史を主題にした映画には、いずこの国でも賛否があるらしく、本作品に関しても以下のような批判がある。

映画の封切り直後から、映画のプロットが実際の史実と多くの点で異なっていると批判されている :

  • 英愛条約締結の為ロンドンに派遣されたアイルランド使節団の団長がコリンズであったと示唆されているが、実際はアーサー・グリフィスである
  • 最も議論を呼んだのはコリンズの死を巡る場面である。英愛条約の受け入れを巡って争われた内戦中にコリンズはコーク州の自宅付近で暗殺された。映画では反乱側にたっていたイーモン・デ・ヴァレラがコリンズの死に責任を持つかのような映写をされていたが、これは割り引いて見てもアンフェアである。デ・ヴァレラは当時暗殺の現場付近にいたことが分かっているが、コリンズ暗殺を命令したような証拠はまったく発見されていない。この映画におけるデ・ヴァレラの不当とも思える扱いには疑問が呈されている
  • イースター蜂起の降伏風景が事実と異なり、映画では蜂起部隊が占拠していた中央郵便局外で降伏したとなっている
  • 内戦の前兆となるシン・フェインとIRAの分裂の原因が英愛条約中のイギリス国王への忠誠義務とアイルランドの分割であるとなっている。条約にあるのは、議員がアイルランド自由国に忠誠を誓い、国王に忠実でなければならないとする条項だけである。また議会(ドール・エレン)での審議記録を見ると議論の焦点はアイルランドの完全独立ではないことがわかる
  • ブラック・アンド・タンズがクローク・パーク球技場で民衆に向け発砲した場面について、これは映画にあるように事前に計画した事件ではない

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上記の批判に対して、ニール・ジョーダン監督はフィクションの部分があることを認めつつ、短時間にアイルランド独立運動を理解してもらうためにしたことだと述べているようだ。


この映画に対する、日本の評判はネットで読む限り、概ね好意的だ。でも、この映画を史実そのものと捉えると、大きな誤解をするかもしれない。


ボクに言えることは、事実を正確に把握した上でないと簡単には歴史に解釈を加えられない、ということだ。事実が闇の中のものならともかく、明確になっているものなら、まずそれを認識しなければ、とてもコメントできません。
そうしないと、どう悪用しようかと、悪知恵の働く輩はどこにでもいますから。


あっ、ちなみにボクは「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」は厳然たる事実−細かな事実は不明な部分はありますが−と考えてます。日・中・韓の低次元なナショナリズムや政治的思惑とは無関係にね(笑)