『ライフ・イズ・ビューティフル』'98 ロベルト・ベニーニ/監督 ロベルト・ベニーニ&ヴィンセンツォ・チェラミ/脚本


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夏休み映画鑑賞シリーズ第2弾。ベニーニが監督&主演の『ライフ・イズ・ビューティフル』です。
<'98カンヌ映画祭グランプリ受賞、'99アカデミー賞主演男優賞外国語映画賞・作曲賞受賞>とまあ華々しい受賞歴。
ムッソリーニ政権下のイタリアが舞台で、ユダヤ強制収容所に送られた一家の物語。
前半と後半では、趣が全く違う。悪乗りしすぎの前半も、後半の重苦しい雰囲気を考えると計算されたものかと納得。

<あらすじ>
1937年、イタリアはトスカーナ地方の小さな町アレッツォ。本屋を開く志を抱いてやってきたユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は美しい小学校教師ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)と運命的な出会いをする。当座の生活のため叔父ジオ(ジュスティーノ・ドゥラーノ)の紹介でホテルのボーイになり、なぞなぞに取り憑かれたドイツ人医師レッシング(ホルスト・ブッフホルツ)らと交流したりしながら、ドーラの前に常に何度も思いもかけないやり方で登場。
ドーラは町の役人と婚約していたが、抜群の機転とおかしさ一杯のグイドにたちまち心を奪われてしまった。ホテルで行われた婚約パーティで、グイドはドーラを大胆にも連れ去り、ふたりは晴れて結ばれた。息子ジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)にも恵まれ、幸せな日々だったが、時はムッソリーニによるファシズム政権下。ユダヤ人迫害の嵐は小さなこの町にも吹き荒れ、ある日、ドーラが自分の母親(マリザ・パレデス)を食事に呼ぶため外に出たすきに、グイドとジョズエは叔父ジオと共に強制収容所に連行された。ドーラも迷わず後を追い、自分から収容所行きの列車に乗り込んだ。
さて、絶望と死の恐怖たちこめる収容所で、グイドは幼いジョズエをおびえさせまいと必死の嘘をつく。収容所生活はジョズエがお気に入りの戦車を得るためまでのゲームなのだと。とにかく生き抜いて“得点"を稼げば、戦車がもらえるのだとグイドはことあるごとに吹き込み続けた。強制労働の合間を縫って、女性の収容所に押し込められたドーラを励まそうと、放送室にしのびこんで妻に呼びかけたりと、グイドの涙ぐましい努力は続く。そんなある日、グイドは軍医として収容所にやってきたあのなぞなぞ好きの医師レッシングと偶然再会。レッシングから「重要な話がある」と耳打ちされたグイド。ドイツ軍の士官たちのパーティの給仕を命じられた彼は、監視の目を盗んでレッシングに話しかけるが、なんとレッシングは新たななぞなぞの答えをグイドに聞いただけだった。
戦況は進み、収容所は撤退準備をはじめる。この機を逃さじとグイドはジョズエをひそかに隠して、ドーラを捜すうちに兵士につかまった。グイドはジョズエの隠れ場所を通るとき、おどけて行進ポーズをとる。それが彼の最後の姿だった。
ドイツ兵が去った後、外へ出たジョズエは進駐してきたアメリカ軍の戦車を見て歓声をあげる。戦車に乗せられたジョズエは生きていたドーラを見つけ、母子は抱き合った。これが幼い息子を生きながらえさせようとした父親の命がけの嘘がもたらした奇跡の物語だ。
ライフ・イズ・ビューティフル(1998) - goo 映画

どこに視点を置くかでこの映画の評価は、変わってくるのでは?と思った。
本作は、史実に忠実に乗っ取って描いていない。その点にどう反応するかだ。
上映当時の感想は、こちら
概ね好評、というより、絶賛といった方がいいだろう。


とても面白い映画だと思うし、賞賛の声が聞こえるのは理解できる。ベニーニの喜劇的な演技は、綱渡り的危うさを感じさせるが、決して踏み外していない。恋人&妻のニコレッタ・ブラスキはチャーミングだし、子役のジョルジオ・カンタリーニのかわいい演技は、イタリア映画の伝統を感じさせる。
でも、ボクは泣けなかった。過去の佳作・名作の列に入ることはできても、上位にくることは難しいのでは、と思った。


イタリア映画で、戦争を描いた作品では『ひまわり』で泣いたし、父子の愛情を描いた作品では『鉄道員』で泣いた。ユダヤ人受難を描いた作品では、フランス映画の『さよなら子供たち』(ルイ・マル/監督)に涙をそそられた。
上記の作品と本作の違いは、史実や現実への接近度にある。
個人的には、その点で今ひとつ本作に入り込めなかった。ただ、これは個人的な好みに類するもので、映画の価値を左右するものではない。


また、重箱の隅をつつくようで、気が進まないのではあるが、DVDの解説に

1939年、戦火迫るイタリア。いつも笑顔を絶やさないユダヤ系イタリア人グイドは、本屋開業のためトスカーナのある街にやってきた。

とある。goo 映画の<あらすじ>には「1937年」と異なる。
結婚して一人息子の5歳の誕生日に強制収容所送りになったのだから、1939年だとどうも計算が合わない。
1939年に結婚なら、単純に考えて、子供の誕生は翌40年。5歳の誕生日は1945年(数え年でも1944年だ)
おそらく、(誤)「1939年」→(正)「1937年」なのだろう。


そう考えるのは、イタリア降伏は1943年9月。同年7月25日、ムッソリーニは罷免・逮捕。だから、ナチのイタリア撤退はこのころだろう。よって、収容所からの解放も1943年9月とするのが妥当だ。
ただ、この辺りの歴史には不案内なので、間違えていたらどなたか指摘してください。