『戦犯 新聞記者が語りつぐ戦争8』(角川文庫・絶版)読売新聞大阪社会部

戦犯


戦犯については、従来、まずA級のそれが頭に浮かぶ。B級C級のそれに関しては、かなり過酷な裁判で処刑された人が多いと認識していた。でも、それなりに現地で酷いことしてきたんだし、勝者が敗者を裁くという理不尽な点はあるものの、仕方ないのだろうな、と思ってきた。


その程度の認識のものに、ガーンと一撃を加えるような内容の本である。本書は、故・黒田清が大阪読売新聞に在籍していた頃の業績で、記者が戦争体験者に取材したものが中心。戦争を美談仕立てではなく、庶民の側からの視点で描いている。


本書を読んで、「戦犯」に対する認識はとても表面的なものだと痛感。今一度B級C級戦犯について考えさせられた。
以下は、本書p.49に掲載されている

「−前略−あまりにもかこくな行ひではないか。誰の罪なるや。此一重に各上官の命に依り、唯陛下の御為に尽くしたまでである。一人とゆえども私怨のために行ったものはいない」(遺稿録、22年6月9日)

上官の命令は絶対である軍隊で、忠実に励行してこの始末である。上官の中には、知らぬ存じぬで、追訴を免れて帰国した者もいるそうだ。
トップが責任を負わない体質は、今に始まったことではないのだと痛感。


また、p.56に

「BC級の人は”国のため”とか”国の再建を祈って”と言って亡くなっていきましたけど、やがて移された巣鴨では、A級は”天皇陛下バンザイ”でしたわなあ。ちょっとちがうんですよ」

この「ちょっとちがう」は「ちょっと」ではない、かなり違うだろう。
その違いをどう感じ取るかが、今後を生きる者の責任だろう。


都合の悪いこととともにB級C級戦犯の事も忘れたら、処刑されていった者はどう感じるだろうか。
また、B級C級戦犯裁判がいかに酷いものであったからといって、都合の悪い事実を隠したり、故意に無視するのは、論外だ。


新藤兼人が先日TVで「戦争はものを破壊するだけでなく、人の家庭をも破壊する」という内容のことを言っていた。その発言とも通底する内容の本であった。


本書は、現在は絶版。読むには、古書店で探すか図書館で借りるしかない。この読売の「戦争」シリーズは再刊が望まれるなあ。