『幕末太陽伝』'57 川島雄三/監督 田中啓一,川島雄三&今村昌平/脚本


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名作の誉れ高い作品。『ウィキペディア』では、以下のように紹介されている。

幕末太陽傳』(ばくまつたいようでん、幕末太陽伝とも表記)は、日活映画、川島雄三監督、フランキー堺主演により昭和32年(1957年)7月14日に封切られた日本映画である。ストーリーはオリジナルだが、落語『居残り佐平次』から主人公を拝借し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』などを随所に散りばめ、その落語世界を幕末の志士たちが駆け抜ける特異な世界を作り上げている。会社の看板スターを脇役扱いにしたことや、幻となったラストシーン(後述)など逸話も多く、50年前の時代劇映画であるにもかかわらず常に若い観客の熱狂的な支持を得るカルト映画でもあり、平成11年(1999年)にキネマ旬報が行った「オールタイムベスト100日本映画編」では5位に入賞するなど、日本映画史上最高傑作のひとつに挙げられる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


その<あらすじ>は以下の通り。

<あらすじ>
頃は幕末--ここ品川宿の遊女屋相模屋に登楼したのは佐平次の一行。さんざ遊んだ挙句に懐は無一文。怒った楼主伝兵衛は佐平次を行燈部屋に追払った。ところがこの男黙って居残りをする代物ではない。いつの間にやら玄関へ飛び出して番頭みたいな仕事を始めたが、その要領のよいこと。売れっ妓こはるの部屋に入浸って勘定がたまる一方の攘夷の志士高杉晋作たちから、そのカタをとって来たり、親子して同じこはるに通い続けたのがばれての親子喧嘩もうまく納めるといった具合。しかもその度に御祝儀を頂戴して懐を温める抜け目のない佐平次であった。
この図々しい居残りが数日続くうちに、仕立物まで上手にする彼の器用さは、女郎こはるとおそめをいかれさせてしまった。かくて佐平次は二人の女からロ説かれる仕儀となった。ところが佐平次はこんな二人に目もくれずに大奮闘。女中おひさにほれた相模屋の太陽息子徳三郎は、おひさとの仲の橋渡しを佐平次に頼んだ。佐平次はこれを手数料十両で引受けた。あくまでちゃっかりしている佐平次は、こはるの部屋の高杉らに着目。彼らが御殿山英国公使館の焼打ちを謀っていることを知ると、御殿山工事場に出入りしている大工に異人館の地図を作らせ、これを高杉らに渡してまたまた儲けた。
その上焼打ちの舟に、徳三郎とおひさを便乗させることも忘れなかった。その夜、御殿山に火が上った。
この事件のすきに、ここらが引上げ時としこたま儲けた佐平次は旅支度。そこへこはるの客杢兵衛大尽が、こはるがいないと大騒ぎ。佐平次は、こはるは急死したと誤魔化してその場を繕い、翌朝早く旅支度して表に出ると、こはいかに杢兵衛が待ち構えていてこはるの墓に案内しろという。これも居残り稼業最後の稼ぎと、彼は杢兵衛から祝儀をもらうと、近くの墓地でいいかげんの石塔をこはるの墓と教えた。杢兵衛一心に拝んでいたが、ふと顔をあげるとこれが子供の戒名。欺されたと真赤になって怒る大尽を尻目に、佐平次は振分けかついで東海道の松並木を韋駄天走りに駈け去って行った。
幕末太陽伝(1957) - goo 映画

落語の世界に詳しくないボクでも、落語の遊廓話を複数題材にしているのはわかる。
でも、つぎはぎだらけの映画になってない点がこの作品を素晴らしいものにしている。


幕末を扱っているのにも関わらず、町人を中心とした物語。
町人のしたたかで生き生きとした姿に比べて、武士の形式張り権威にもたれる姿は、来る時代の士族を暗示しているようだ。
それは、佐平次と高杉晋作の舟でのやりとりが象徴的だ。いくら大刀を構えても、町人の知恵がなければ結局のところ何もできない。


主演のフランキー堺は当然だが、脇役陣がいい。
石原裕次郎小林旭二谷英明岡田真澄らの日活若手に加えて、小沢昭一殿山泰司山岡久乃金子信雄と挙げていったらきりがない(笑)

また、日活に限らず、底の浅いというか、人間を描けてない作品を観ると、時間の無駄遣いをしているような気になるが、この映画では脇役に至るまで、丁寧な描き方をしている。
これが、半世紀経過しても、この映画が観るものに新鮮な感動を与える要因なのだろう。