娘誕生と親父の死

今月17日は、娘の誕生日。これで、16回目。
ささやかに五目寿司でお祝い。

16年前、深夜に自動車で連れ合いを病院に連れて行き、陣痛が激しくなってから連れ合いは分娩室に。ボクは病室に。
待つこと数時間。昼前、病室で生まれたとのアナウンスを受け、すぐさま娘と対面。
感激の対面、というより、「(ゲゲゲの鬼太郎の)子泣き爺」みたいだ!の驚き対面←その時の証拠写真有←禁公開の極秘写真ですが……(笑)


それから、てんやわんやの子育てが。
東京からボクの両親が来たり、姉夫婦が来たり。
秋には、娘を連れて東京にも行った。
その時、親父のビザの上に乗った娘とボク達と姉夫婦&子供達の写真が、今も仏壇の隣に飾ってある。
今になって、あの東京行きは、どら息子の唯一の親父孝行だったのかなあ、と思っている(苦笑)


そして、1回目の誕生日の数日前に。
実家から電話。親父が脳梗塞で倒れ、緊急入院したとの由。


取るもの取りあえず、東京へ。奇しくも、17日に危篤状態に陥る。
京都に直ちに連絡。連れ合い&娘、上京。


元々心臓の弱かった親父は、翌々日19日に、逝った。あっけないものだ。
通夜から葬儀とめまぐるしく日々が過ぎ行く。


あのころは無邪気な娘の笑顔で癒されたなあ、と最近憎たらしくなってきている娘の顔を見ながら思う(笑)
月日は否応なく過ぎゆくし、娑婆世界では何一つ変わらないものはない。
だが、逝った人に対する思い出は残る。
クラシックもジャズも、ましてやビートルズもよく分かってなかったし、文学とも無縁、糖尿になっても大の甘党だった親父。
いろいろ意見の違いもあったけど、戦争体験−特攻隊の生き残り−を始めもっと話をしておけばと、今更ながら後悔している。


3月中旬を過ぎる頃から、毎年、花粉症のくしゃみをしながらも、あの当時のことを思い出す。
人生の大きな節目だったのだなあ、と思う今日この頃である。