京進、小6女児殺害事件について

事件のあらましは、以下で確認してください。

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/kanren/ujijyoji.html

実に痛ましく、いやな事件が起こった。同業者としては、他人ごとでは済まされない。単に、塾生と講師の人間関係のもつれとか、容疑者(「加害者」と言った方が適切か)の以前の行状・性格の問題点に原因を絞るのは−当然、これらの点が、事件の直接の引き金ではあるが−問題の矮小化につながるのでは?

他のブログの記事・書き込みを調べると、
容疑者の未成熟な被害者に対する「恋愛感情」が原因のすべてでもあるかのような意見
容疑者の前科を知らなかった塾側の責任に言及する意見
容疑者が在籍していた同志社大学に責任があるとする意見
以上に、大別できる。

の中で「憶測で決めつけてしまうのは?」という疑義に対して、「被害者の親御さんの気持ち考えてるんか」という意味の書き込みがあった。また、では「塾側が容疑者の前科を」
事件直後という点を考慮しても、「感情論」が横行し「冷静」な意見は一喝される。感情的になるのは当然だが、我々は第3者であり当事者ではない。落ち着いて事実を見極めなければならないのでは。正直やれやれな意見が多い。しかし、少数派であるが沈着冷静な意見もあるのが救いである。

容疑者がバイトしていた「京進」という学習塾は、朝日新聞・京都新聞に全面広告をうつこともある企業です。そのせいか、「京進」に対する管理責任を追及する記事がそれほど見受けられない、と感じるボクは他の人と感覚がずれているのだろうか?

同じ業界にいる者として、状況から考えて、次のようなことを考えてしまいます。
①何故、「京進」の専任講師なり職員が生徒とバイト講師の間に立って、いわばクッションのような役目をしなかったのか?
②11月の容疑者と被害者の面談に際して、何故「京進宇治神明(しんめい)校」の校長が同席しなかったのか?


ボクは、「ダサイ」とか「ええカッコしい」とか言われても、いわゆる世間の大勢に安直に従う気はこれっぽっちもない者です。民主主義の基本は、双方が意見を出し合い議論するところにあると思います。たとえどんなに不愉快で自分勝手な意見であっても、反対意見には一応は耳を傾けるべきです。(当然、反論しますが)

ともかく、上記の二点についての裁判での解明が待たれます。