「ぼくは痴漢じゃない!」(新潮文庫)鈴木建夫

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他人ごとじゃあない! 満員電車に揺られる生活でないことに感謝してしまうなあ〜


高校時代、通学時満員電車に揺られて都心まで通っていた。正直、人間の乗り物ではないと思う。「大人になったら、こんな電車乗りたくない」と、高3の時に漠然と考えていた。多分、そんな思いがボクをサラリーマン生活から遠ざけたんだろう。また、東京から京都に向かわせた一因とも思う。
今もって満員電車は苦手で、たまに帰京の際、満員電車に遭遇すると次の電車を待ってしまう。


本書は、通勤電車で痴漢と間違えられて、連行→逮捕→留置→裁判→有罪 となった男性の手記である。結果としては、無罪を勝ち取ることができたのであるが、その過程で失ったものは大きい。


映画「それでもボクはやってない」を思い起こさせる内容である。この映画の感想に、責めるべきは裁判所ではなく、検察・警察である、としたものがあった。
が、本書の「『痴漢事件』は刑事司法ののぞきあな by升味佐江子」を読むと、軽率な考えと思ってしまう。やはり、裁判官も検察・警察同様に国家公務員なんだ、との感を強くする。


なんでこんな調書から、有罪が引き出されるのか? 物的証拠もない。あるのは被害女性の告発だけ。


「強制わいせつ罪」ではなく「痴漢」だけなら、罰金刑となり簡易裁判所
裁判官「やりましたか?」
被告「はい、やりました。」
裁判官「では罰金○○万円です。窓口にてお支払い下さい。」


とまあ、こんな感じで、スピード違反の罰金刑と大差ない扱いなのだ。(まあ、場合によっては民事で慰謝料取られるだろうけど)とにかく、さっさと認めて、刑を確定した方が、検察・警察・裁判所に(場合によっては弁護士にも)好都合なのである。


容疑者が否認をすることは、ある意味、社会的な死につながる可能性が高い。仕事を失い、年金を受け取れなくなり、家族崩壊になることも。


何故、そうなるのか?それは本書を読んで、ご確認下さい。


万一、嫌疑を掛けられたときは、同行を求めた警察官に対して、任意か強制かをしつこいくらい確認を繰り返す必要がある。(こんな時、日本人的遠慮は無用の長物)一旦、警察署に行き、取り調べが始まれば、逮捕→拘置→裁判→有罪 の「ベルトコンベアー」が用意されているという。升味氏は、現役の弁護士で、刑事事件を扱うことが多く、単なる思いこみで言っているのではない。