『スミス都へ行く』'39  F.キャプラ/監督 ルイス・R・フォスター/原作 シドニー・バックマン/脚本(アカデミー賞原案賞)

スミス都へ行く [DVD] FRT-207
tougyouさんの推薦で観た映画。60年以上前−昭和14年−の作品なのに、みずみずしい青臭い感動を与えてくれる。一歩間違うと時代の経過と共にシラケた感じになる内容だが、そうならないところが名監督といわれる所以なんだろう。


田舎の純朴な青年が、ある日突然に上院議員に。周囲の腹黒いオヤジ連中は、この理想主義者をどう操り利権や汚職まみれの政治の世界に引きこむのか、そして、スミス氏はどう立ち向かうのか…。

<あらすじ>は以下の通り

上院議員の空席を埋めるため担ぎ出されたのは田舎で少年団のリーダーを務めるスミス氏だった。だが議会の目論みをよそに、彼は必要以上の熱意で行政にあたり、やがて議員の汚職問題を知る事になる。腐敗した政治の世界にたった一人で抵抗する男の姿を通してアメリカン・スピリットを感動的に描く。議長のH・ケリー、スミス氏の秘書のJ・アーサーを始めとする助演陣の上手さもさることながら、主演のJ・スチュワートがMr.アメリカの印象を決定付けた素晴らしい演技を見せる。後半延々と続く(続けざるをえない)スミスの弁論シーンには、現実離れしていると思いつつ心打たずにはおられない。
スミス都へ行く

社会派かつ理想主義者のキャプラ監督らしい作品だ。
ネット上に散見するこの映画の感想は、感動したというものから、アメリカ民主主義と愛国心を美化しすぎというものまで、いろいろ評価が分かれている。(中には、「昔は単純なストーリーでも受けたが、今の複雑な世の中では…」というピンボケ?感想まであった)


まず制作年代を確認すると、1939年。世界恐慌の10年後でヨーロッパではナチスファシスト党が台頭。笹本俊二『第二次世界大戦前後‐ヨーロッパ1939年‐』(岩波新書)に当時の情勢が詳細に記されている。
今日的な視点で映画を評価するのは当然としても、(評価する方も、される方も)人間は時代に縛られている。よって、この映画が製作された時代背景を無視して、現代の視点のみで本作品を批判−上記したような−するのは、まさに木を見て森を見ずだ。
イタリア出身のキャプラは、故国が独裁国家であったことを憤っていたのかもしれない。そんな印象を最終シーン−多分、独伊とおぼしき代表団がいた−から感じた。それは、議会でのスミス氏の演説である。あのシーンをより効果的に見せるために、その前に頼りなげな田舎のお兄ちゃん(=スミス氏)を描いていたのでは。


J・アーサーが素敵でした。それと、悪役陣はみな見事な演技。理性的な議長は粋であった。皆で、J・スチュワートを支えている。
米国にはウンザリするところも多いけど、こんな一面があるから、一概に「キライ」とは言えない。
まあ、少なくとも今の大統領は、この映画は嫌いだろうな(笑)


tougyouさん、ありがとうございました。『オペラハット』も観なければ、と思いました。