バイト?の思い出

青春デンデケデケデケ


本日午後、久しぶりに映画『青春デンデケデケデケ』(大林宣彦監督)を見ていて、夏休み、エレキギターを買うため、自動車工場でバイトする主人公を見て思い出すことがあった。


バイトというと、大学3年の時に「ソ連アフガニスタン23日間の旅」に参加する為にしたのが印象的。
当時('78年夏)は、1ドル≒200円くらいで、(8月に200円割れをしたかな?)今現在ほど、日本円の力はなかったので、円をドルに替えての旅だった。それはともかく、今では考えられないくらい、高いツアー料金だった。まず、(年末年始に24時間勤務の守衛で稼いだ)5万円を頭金に。それでも残金は、50万円以上(だったと思う)。


今と違ってバイト探しは求人誌か、友人・先輩の紹介がほとんどだった。
当然、文系の大学生が探すバイトだから、Webデザイナーとかコーディネイターみたいなカタカナのやつとは無縁。焼き肉屋とか深夜警備とか倉庫の荷物管理、という類のものばかり。


バイトを探している最中、よそでバイトするなら「家の工場で1ヶ月働いたら、旅行費用出してやる」と親父殿のお言葉が。そこで、その年の春休みは、「工場」で旋盤を使ったり、軽トラックで納品したり材料買いにいったりで過ごした。親の所だからか、まあ人使いが荒かった(足元見られてましたから…<苦笑>)。


時効だから話せるが、納品がぎりぎりになり、仕方なく軽トラックに重量オーバーの荷物を載せ、いざ出発。無事納品を済ませたときはホットしたが、実際、荷物が重くてトラックがふらつき気味。で、ハンドルを握る手には汗がたんまり。よく覚えています。事故らなくて本当に良かった。
格好つけた言い方すると、日本の大企業は、中小下請け工場の技術力と納期を守る律儀さがなければ、あれほど輸出も伸ばせなかったろうな、ということである。お金を稼ぐのは、大変と実感した春休みであった。