『祇園祭』'68  伊藤大輔・山内哲也/監督


台風も関東方面にぬけ、宵々山はかなりの人出。人混みは苦手ですが、年に一度の祇園祭、なおかつ、京都文化博物館・映像ホールでは、映画『祇園祭』を上映するので、午後2時過ぎに家を出て四条方面に。


今回(7/15)は、2回上映で5時からのものを観る。
出演者(中村錦之助岩下志麻田村高廣田中邦衛志村喬三船敏郎渥美清北大路欣也高倉健美空ひばり佐藤オリエ小沢栄太郎、下元勉、藤原鎌足下条正巳松山英太郎)は、豪華の一言。
スターの独立プロによる大作映画として『黒部の太陽』と本作が連続公開され、大ヒットしたと言うことだ。残念ながら、ボクは後者は初めて知った映画。
制作の過程には、紆余曲折があったようで、伊藤大輔の名は途中で消えているようである。

足利将軍の、世継ぎ争いに端を発した応仁の乱は、以後50年もの間、京の都を荒廃に陥れた。虐げられつづけた農民が、一揆を起したのもその頃だが、武士階級にはそれを鎮圧する力も、すでになかった。染物職人の新吉は、土一揆のあったある夜、笛の上手な不思議な女あやめを知り、荒れた御堂の中で一夜を共にした。翌朝、家に帰った新吉は、母が侍に殺されたのを知った。一方相次ぐ一揆に手を焼いた管領細川晴元は、町民を狩り集めて一揆の本拠山科に攻め入った。そこには貧農に味方する馬借の頭熊左がいた。新吉たち町民は熊左の一隊と戦ったが、侍は逃げ、結局は新吉たちは利用されているだけだった。戦いが終って、新吉の心には侍階級に対する不信感が強くなった。町民たちも税金を払わないことで特に対抗しようとしていたが、そのためには、町民の団結力を見せる必要があった。そこで新吉は、戦乱で三十年もの間途絶えていた町民の祭典、祇園祭を再興しようと決心するのだった…。

西口克己の原作を、「湖の琴」の鈴木尚之と、「北穂高絶唱」の清水邦夫が共同で脚色、「眠狂四郎無頼剣」の伊藤大輔と「主水之介三番勝負」の山内鉄也が共同で監督に当っている。撮影は川崎新太郎。 (キネマ旬報 全映画作品データベースより抜粋)
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簡単に言うと、祇園祭山鉾巡行が、応仁の乱後のいかにして復活せられたかの映画。その途上における「町衆」の苦難−町衆と土民・馬借との対立。武士の裏切りと弾圧。−を描いた映画である。
物語にふくらみを持たせる、「新吉」と「あやめ」の恋。


167分の長時間でありながら、長さを感じさせない。
物語の展開が小気味のいいテンポで進む。足を引っ張る役者がいないからか?
志村喬も、三船敏郎も、田村高廣も、いい味を出してる。
うがった見方をするなら、志村と三船は『七人の侍』の役柄をそのまま演じさせられてるようだが…。


ボクは、個人的な好みですが、三船敏郎は中国でいう「大人」風の演技より、『酔いどれ天使』『七人の侍』『羅生門』のような「荒くれ男」の演技が好きだ。


岩下志摩の登場シーンは、幻想的で息をのむ。本当に綺麗な女優だ。
小津作品では、まだ初々しい感じだったが、数年を経て成熟した美しさになる。
この女優さんには申し訳ないが、個人的には、嫌いなタイプの映画にでている印象が強かった。(無意味な流血と暴力の映画は嫌悪してます)


さらに詳しい解説は、こちらをご覧ください。


特に、映画とは関係ないが、今回の上映は年齢層が20代半ば以上で40代以上の鑑賞者が大半であった。
なのに、映画途中で、大きな携帯音が、しつこく流れていた…。
以前に書いたが、マナーの低下は若者ばかりではないことを再確認。本当に、ヤレヤレである。


映画終了後、同博物館の別館にてジャズのライブ演奏を楽しむ。時計をみると9時を回っている。

町はたくさんの人盛り。やたらカップルが多い。
どこかでビールを飲んでから、「鉾」や「山」を見ようかと考えていたが、ウーム、カップルばかりで気後れしてしまうなあ(笑)
翌日の宵山でたっぷり祇園祭を堪能しようと思い、この日は大人しく家路につく。