<その1>『硫黄島 2部作』'06  クリント・イーストウッド/監督

父親たちの星条旗』(アカデミー賞音響効果賞受賞)
父親たちの星条旗 (特別版) [DVD]

二作立て続けに観て参りました。場所は京都・祇園会館です。この館はんHPに掲載されているクーポンを利用すると入館料が1000円に。
京都に来た当初は、もっと安い名画座でしたが…。ここで『カサブランカ』や『凱旋門』を観たのはもう20年以上も前のことだ。


それはともかく、曇り空の元、バスにて祇園方面に。昼食用に、盛り場に隣接した地元民ばかりの古川町商店街−非常に懐かしい感じの店が立ち並ぶ−にあるパン屋で、あんパン−映画の定番?−ほかを購入。
いざいざ、映画館に。


まずは、『父親たちの星条旗』(アカデミー賞音響効果賞受賞)
擂り鉢山の攻防を始めとする戦闘シーンは、流石に迫力満点。効果音も素晴らしく、身銭を切って映画館で鑑賞する値打ちはある。
ただそれ以上にこの映画には注目すべき点がある。それは「英雄礼賛」とは180度趣を異にしていることだ。
「戦場の英雄」ではなく、「戦争に傷ついた若者」を描いている点に特長がある。


そんな彼らを国家という名の「正義」は、戦費調達の歯車として扱う。とまどう「若者」と非情な「国家」の対照が、観るものにいろいろな事を問いかける。
ネイティブ・アメリカン(インディアン)の「若者」の一人が、戦費集めの会場では「英雄」としてもてはやされ、同じ街のバーでは人種を理由に追い出される。
「戦場の英雄」が場所を変えると、マイノリティとして差別される。そんな当時の現実を描いている。


「国家の論理」と「個人の権利」、優先されるのは? こう問いかけているような気がする。
視点を変えれば、あの星条旗の写真が戦費を集め、ある意味、戦争終結のきっかけになったと言い張ることもできるだろう。
ここでも顔を出すのは「国家の論理」。自信満々にそんなことを言い放つ顔に、どうしようもない不快感を感じる。
でもねえ、大部分の若者は一兵卒だよ。何10キロもの装備を身につけて劣悪な環境で戦うんだよ。
戦場にはお呼びでないような老人や一部の女性が
「国家のために命を捧げのは、国民として当然の…」とか
「国のために死ねないような者は…」なんていう意味の言葉を聞くと、
「じゃあ、あんた。バクダットかカーブルで家借りて生活してみろよ」と言いたくなる。


なお物語の詳細については父親たちの星条旗 - goo 映画
を参照してください。