『おかあさん』'52  成瀬巳喜男/監督 水木洋子/脚本

夏休み映画鑑賞シリーズ第1弾。昨日、行きつけのCDショップに日本名作映画集の一つとして置いてありました。発見した瞬間、「おお、これがtougyouさん推薦の成瀬作品か」と思い躊躇せずにレジへ。
本日、部屋のPCで鑑賞いたしました。古い画面の中に、まだ貧しかった頃の東京の街が浮かび上がる。

<あらすじ>
戦災で焼け出された洗濯屋の福原一家は、父(三島雅夫)が工場の守衛、母(田中絹代)は露店の飴売り、娘の年子(香川京子)はキャンディ売りに精を出したおかげで、やっと元のクリーニング屋を開くことができた。
長男の進(片山明彦)は母に会いたい一心から病気の身で療養所を逃げ出してきたために死んでしまったが、店は父の弟子であるシベリア帰りの木村のおじさん(加東大介)が手伝ってくれることになり、順調なスタートを切った。
年子が近所のパン屋の息子信二郎岡田英次)と仲良しになった頃、病気で寝ていた父が死んだ。母は娘二人と引き揚げ者・母妹(中北千枝子)の息子・哲夫を抱え、木村の手ほどきを受けながら女手一つで馴れない店を切り回すことになった。
木村と母の間についてあらぬ噂が立っていることを信二郎から聞いた年子は、娘心に思い悩んだが、妹の久子を親類に養女にやる話まで出るようになると、女の腕のかよわさをしみじみと悟らざるを得なかった。事実久子はもらわれる事が決まり、一家は最後の楽しいピクニックに出かけた。
やっと母も一人立ちできるようになり、木村は自分で店を出すために去っていった。母一人娘一人と甥の哲夫が残った福原家では、新しい小僧も迎え、ようやく将来への安定した希望も湧いてきたのだったが--
年子の心には、母は本当に幸せなのだろうか、とかすかな憂いが残って消えないのだった。
おかあさん(1952) - goo 映画

この<あらすじ>は、goo映画のサイトに掲載されているものですが、明らかに誤っている場合は、ボクの判断で訂正しています。引用の原則としては、原文を尊重することは言うまでもないのですが、誤りが稚拙すぎる場合−誰の目からも明らかという意味−は、断りなく訂正してます。(学術論文ではないの許して下さい<笑>)


この映画も、成瀬作品らしく、ハッピーエンドでもその逆でもなく、淡々と終わる。観るものに、その後のこの一家の行く末の判断を任せているようだ。


信二郎が歌子に「女性も男性のように再婚して新たな人生を歩むべき」という意味のことを言う。言葉では反論できないが、感情ではそれを許せない。
戦後民主主義の時代になっても、人間の本質は変わらないということか。
はっきりと主張するわけではないが、いろいろと考えさせられるのは、こちらが成瀬の術にはまっているからなのか?まあ、こんなはめられ方なら異論はない。


撮り方次第では、戦争で痛めつけられ、一家の大黒柱を亡くしながらも、献身的な日本の母親を描く映画になってもおかしくないが、成瀬は冷たいようで暖かく、その上安易な安心感を与えない。
それ故、香川京子の花嫁姿が非常に際だって見えるのだろうか。


花嫁姿の香川京子は綺麗です。それまでの地味な格好と好対照で、いっそう花嫁姿が綺麗で、モノクロなのに色彩を感じてしまいました。


一家がピクニックで行った向丘遊園地−02.3.31閉園−には、その昔連れて行かれた記憶があります。
TDLに比べると、ショボイけど、当時の子供には「夢の国」であった。