『食卓の情景』(新潮文庫)池波正太郎

食卓の情景 (新潮文庫)

再登場の本です(笑) 振り返ってみると、この20年の間に最もたくさんくり返し読みました、この本。


「食」のことだけでなく、「映画」「演劇」や戦前の風俗といった、内容が多岐にわたっている。よって、グルメ・ガイドブックというより、すぐれた文化評論の本と言ったほうが、個人的には、ピタリとする。


「朱に交われば……」で、以下のことが記されていた。
戦前のこと。江戸っ子で老舗の御曹子−池波氏の友人−が京都の女性を妻に迎えた。その当時、御曹子氏は妻の料理に

「吸い物なんざ君、湯を飲んでいるようなものだし、煮物なんざ君、この世の中に醤油も塩も砂糖もねえとしか、おもえねえようなものを食わせやがる。たまったものじゃあない、まったく、実に……」(P.184)

と文句を言っていた。
しかし、戦後30年ぶりに再会し、連雀町の「藪」で酒を酌み交わしていると

「だめだよ、東京のものは、みんな辛いし、味が濃すぎる」
−中略−
「家内がこしらえる京都ふうの、うす味が、ぼくには、いちばんいいな」(p.p.186-187)

となっていたそうだ。池波氏は胸中「勝手にしやがれ」と思ったそうだが、ボクはどうも他人事のような気がしない(笑)


実際、連雀町の「藪」の蕎麦は、ボクには味が濃すぎる。東京で食事をすると、確かに汁物や煮物で「どうも、味が濃いなあ」と思うことがある。残すのは嫌いなので、ちゃんと全部平らげますが(笑)


どうも舌というのは、長年の習慣で変わってしまうようです。


この本には、京都のことも数多く書かれていて、それを頼りに店に行ったことも一度や二度ではない。
今はもう閉店してしまったところもちらほらあり、単純にグルメ・ガイドブックとしてならもっと良い本があるだろう。
だが、今もって、読み物としての価値は持ち続けている、と再読して痛感した。



↑は池波も好んだ[好事福慮]の「村上開新堂」