『お引越し』'93 相米慎二/監督 奥寺佐渡子&小比木聡/脚本

家庭の解体と少女の心の成長を,そして、誰もが経験する「通過儀礼」を描いた作品。
オープニングの夕食での寒々しい雰囲気。夫婦が、いかにも不味そうに食べながら、夕餉のテーブルについている。
一人娘が、何とか団欒らしき雰囲気を醸し出そうと、孤軍奮闘。
この家庭が、崩壊していることを示唆。そして、同時に、これから始まる少女の苦悩も暗示している。


実に、上手いオープニングだ。

<あらすじ>
小学六年生の漆場レンコは、ある日両親が離婚を前提しての別居に入り父ケンイチが家を出たため、
ナズナとともに二人暮らしとなった。
最初のうちこそ離婚が実感としてピンとこなかったレンコだったが、
新生活を始めようと契約書を作るナズナや、ケンイチとの間に挟まれ心がざわついてくる。


同じく両親が離婚している転校生のサリーの肩を持っては級友たちと大喧嘩したり、
クラスメイトのミノルと話すうち思いついた、自分の存在を両親に考えさせるための篭城作戦を実行しかけてみたり。


家でも学校でも行き場のなさを感じたレンコは、昨年も行った琵琶湖畔への家族旅行を復活させればまた平和な日々が帰ってくるかも知れないと、自分で勝手に電車の切符もホテルも予約してしまう。
ホテルのロビーでレンコとナズナが来るのを待っていたケンイチは、もう一度三人でやっていきたいと語るが、その態度にナズナは怒る。
その場を逃げ出したレンコは不思議な老人・砂原に出会う。


砂原との温かいふれあいに力を得たレンコは、祭が最高潮を迎え、群集で賑わう中をひとりでさまよううち、
琵琶湖畔で自分たち家族のかつての姿を幻視する。
かつての幸福だった自分に向けて『おめでとうございます』と大きく手をふるレンコ。


夏も終わり、レンコにとって、ケンイチやナズナにとって新しい風が吹きこもうとしていた。
お引越し(1993) - goo 映画

京都弁が自然だ。その点がとても良い。対して、安直なTVドラマでの京都弁は、
勝手に思い込んで作り上げたイメージの産物だ。

映画終盤の湖での幻想的な場面は、圧巻。精神的な「死と再生」を暗示。少女が
脱皮をして成長する姿を描いている。その後、京都に戻る母娘の姿にその関係が
変わったことを二人のやり取りから伺える。


家族が、バラバラになっていく。娘が心を痛めているのに、母は新たな生活に独
り浮き立っている。父は優柔不断だ。
通常の映画なら、最後には娘の健気な努力に両親が打たれる。
そして、夫婦関係の修復、となり、観衆に「子はかすがい」なんて思わすのだろう。


しかし、相米慎二は厳しい。安易な和解劇や感動ドラマとは無縁な結末だ。
老若男女に関わる、人の自立というものを考えさせられる映画であった。


あえて難点をいうと、京都でのロケを中心とした撮影という点かな。
まあ、他府県の方には分からないかも知れないが、ボクの散策コースがいくつもロケ現場になっている。
見慣れた景色が多いと、走っている場面では「あの場所から、あの場所に……。瞬間移動かよ?」
とツッコミを入れたくなってしまう(笑)


中井貴一は、優柔不断な役柄を好演。以前観た映画『ラブ・レター』でも見事な「ダメ男」ぶりを演じていた。
桜田淳子は、自立する女と母親を好演。現在引退状態。カルト教団の宣伝塔なんか辞めて女優に復帰して欲しいものだ。


主演の田畑智子は、オーディション当時、京都の小学生。目の輝きでオーディションに合格したそうだ。
演技がどう、というのではなくこの年代にしか出せない、輝きで好演している。