[映画]『新しき土』’37  アーノルド・ファンク/監督

原節子 十六歳 ~新しき土~ [DVD]

beatleさんのブログで紹介されていた<ベスト・オブ・原節子>〜アーノルド・ファンク監督『新しき土』(1937年) - 旧・かぶとむし日記 を府立図書館の視聴覚室で鑑賞してきました。


本作は、アーノルド・ファンクと伊丹万作の共同監督で撮影が開始された。しかし、両者の文化的背景の相違から、同名の映画が2作―ファンク版と伊丹版−製作された、とのこと。
1937年2月に国内で両バージョンともに公開。公開当時は、好評でヒットしたそうだ。


鑑賞した人はどう感じたのかはともかく、なかなかツッコミどころ満載の映画です(笑)


個人的に、本作のびっくり大賞?は、以下です。
主人公が自殺を決意した許嫁を追って、途中、湖を泳いで渡るときに、何故だか靴を岸辺に脱いでからとびこんだ。
これは、解せない。泳ぎ切ってから歩いて噴火しそうな岩山を登るのに、靴がないのはどうもねえ。
幾ら夢中でも、靴なしで噴火しそうな火山にねえ……(苦笑)


この作品、戦前の国策映画としての歴史的価値以外に求めるものがあるとしたら、16歳の原節子と日本国内の映像といえる。白黒映画なのに、桜の鮮やかさや、着物の柄の優美さが、伝わってきます。
一流の監督が残した映像は、やはり迫力があります。


16歳といったら、現在の我が娘と同じ年。いやあ、とても同年齢には見えません。
微笑んだり、はにかんだり、涙ぐんだり。可憐な原節子が満載です。
何はともあれ、非凡な魅力を少女の時から持っていたというか、生得の魅力なのではないか、と思いました。
まさに生まれながらのスターの貫禄です。


それとこの当時の日本の文化や名勝地や自然を知るのに、今でも価値ある映像だと思います。
ドイツ人の目には、近代文化と伝統文化が混在する国・日本という風に見えるのではないでしょうか。


制作された年が、1937年。この年の7月から日中戦争―いわゆる「支那事変」―が始まり、泥沼化した戦争に突入する。
この当時の歴史を振り返ると

1931年
9月 満州事変
1932年
3月 満州国建国
5月 5.15事件
1933年
3月 国際連盟脱退
1934年
8月 ヒトラー、総統となる(〜45年)
1935年
2月 貴族院美濃部達吉天皇機関説攻撃
1936年
2月 2.26事件
11月 日独防共協定成立
1937年
7月 盧溝橋事件(日中戦争開始)
11月 日独伊防共協定成立
12月 日本軍、南京を占領。その後、南京事件    


といった具合だ。軍部の政治的発言力が増し、戦時色が強まりつつも、まだ娯楽にも若干のゆとりがあった時代なのだろう。
少なくとも、まだ鮮明な国家批判や国体批判さえしなければ、映画を楽しむことは許されたということか。(小林多喜二が、特高の取調べ中に拷問の末、虐殺されたのは、1933年)
まあそれも、5年後には何もかもが不自由になるのであるが。


こんな時期に製作された映画だから、国策に則った「満州国の肯定」をしているのも当然だ。
にしても、結末は主人公と光子が結婚して、満州に渡り、農地を開拓しているとは……。
様子から見るに、一農民として渡満した感じ。
8年も欧州に留学して、「一開拓民かよ!」と思わず、ツッコミをいれたくなる。
このあたりは、満州への移住を暗に観衆に促しているような匂いがしてしまうが……。


また、特殊撮影に円谷英二が活躍。
その詳細は、http://www.geocities.jp/tustation/atarasikituti.htmlで。
本作の公開当初の様子も含めて、上記のサイトは参考になる。


↓1939年の原節子(映画『東京の女性』より)。まだ10代なのに大人です。