『哀愁』'40 マーヴィン・ルロイ/監督 ロバート・シャーウッド/原作 S.N.バーマン&ハンス・ラモー/脚本

哀愁 [DVD] FRT-010


休日3日目。どうも空模様が怪しいので、外出は控え、DVDで映画かライブ鑑賞をしようかと計画。
まずは、最近ご無沙汰しているブログ仲間を訪問。
すると、tougyouさんのブログ―http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20080913/p4―に映画『哀愁』の記事が……。
ズドンと心に突き刺さってしまい、久々に鑑賞とあいなりました(笑)


この作品、まだ20代のころに『風と共に去りぬ』を観たながれで、ヴィヴィアン・リーの代表作ということでNHK教育で放映されたものを鑑賞。
最初見たときは、「ウーーン、どうも」という感想。
どうもロバート・テイラーが演じたクローニン大尉が、「お気楽」というか、「育ちがいい」というか、「世間知らず」というか、つまりなんか甘ったるくて鈍感な感じがして、……。
いい映画なんだろうけどなあ。どうも好きな映画ではありませんでした。


その10年後に再鑑賞。「アレッ、何かいい映画だなあ」と思う。
そして、約10年ぶりに観るこの映画。今回で3度目の鑑賞です。


空襲警報の最中、ウォータールー橋で出会った二人が、たちまち恋に落ち、翌日には結婚の約束を。
出だしは、まあその後踏襲されたメロドラマの原型のようだ。


バレエ団を解雇され生活に困窮した主人公・マイラ。婚約者のクローニン大尉―このときは戦場に―に頼っては、と言われた時。
マイラは、「彼には知らせたくない 私にも自尊心があるの」と言う。


クローニン大尉は、貴族出身。マイラは庶民、かつ両親は亡くなり既にいない。その上、ダンサーだ。
その負い目が、言わしめた言葉なのでは。
そして、それが不幸の始まりになろうとは……。


第一次大戦でクローニン大尉が戦死したとの報が新聞に掲載され、絶望したマイラ。
その結果、生きるために娼婦になったマイラとその友人・キティ。


戦時下、生きるために必死だったマイラであったが、客を求めてロンドン駅にいた時、戦死したはずのクローニン大尉が無事帰還し偶然出会う。
駅構内のティールームで語り合う二人。
歓喜のクローニン大尉に対して、マイラは嬉しいながらも複雑な表情。彼が、故郷の母親に電話しているすきに口紅をぬぐうマイラ。
監督の細かな演出が光る。ちょっとした小道具や脇を歩く女性を通して彼女のゆれる心模様を演出している。
実に見事です。


また更に、マイラの友人・キティが自宅のアパートの前で手鏡を見て口紅を落とす。
これで、彼女の仕事が何なのかを暗示。
以前、人前や外で化粧をする女は娼婦、というのが欧米では常識と聞いたことがある。
なるほどなあ、と納得。


今回も思ったが、マイラの化粧と服装から、戦時中何をしていたの気づかないクローニン大尉。
彼の無邪気さが、彼女を自殺に追い込んだとも。


登場するクローニン大尉の母親も叔父の公爵も善人だ。にもかかわらず、悲劇的な結末を迎える。
戦争による悲恋物語ともとれるし、人生のはかなさや人を恋する気持ちの純粋さを伝えてもくれる。
が、その背景にイギリスの階級社会が根深いことを教えているようにも感じる。


また、今回新たに感じたことは、友人のキティのことだ。
マイラと同様の境遇にありながら、自暴自棄に陥った様子はない。
彼女の生き方は、マイラとは対照的だ。まるで、戦後の女性の生き方の一つを暗示しているかのよう。


マーヴィン・ルロイは、(おそらく)そこまでは計算して演出していなかった(と思う)。
が、監督の予期してないような感じ方が出来るのも良質な作品である証拠なのでは!と勝手に解釈している次第(笑)
故・水野晴郎氏ではありませんが、「映画って、本当にいいものですね」(笑)


↓中国語のマイラ。ボクには少々ビミョー(苦笑)