『午後の遺言状』'95  新藤兼人/監督&脚本

キネマ旬報日本映画第1位、同監督賞、同主演女優賞<杉村春子>、同助演女優賞乙羽信子
毎日映画コンクール日本映画大賞、同女優主演賞<杉村春子>、特別賞<乙羽信子> 
日刊スポーツ映画大賞監督賞、同主演女優賞<杉村春子
日本アカデミー賞最優秀作品賞、同最優秀監督賞、同最優秀助演女優賞乙羽信子>、同優秀編集賞
ブルーリボン賞 作品賞、報知映画賞 最優秀作品賞


乙羽信子の遺作である。監督の著書(『愛妻記』)によれば、彼女の癌が末期で余命1年から1年半と分かった時点で制作を決意。乙羽信子も含め、スタッフ・キャストには「末期癌」を隠して撮影に臨んだそうだ。

【解説】
 老女優が避暑に訪れた先で過ごすひと夏を描いて、生きることの意味を問う人間ドラマ。監督は名匠・新藤兼人杉村春子と共演した夫人の乙羽信子は本作が遺作となった。夏、蓼科の別荘に避暑にやってきた老女優、蓉子。彼女をその別荘で迎えるのは農婦の豊子。もう30年もの間続いてきた光景だ。言葉は乱暴だが、仕事はきっちりこなす豊子に蓉子は信頼を寄せている。そして、今年の夏もいつも以上にいろいろなことが彼女たちを待っていた。
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物語の詳細や解説もっと望む方は、上掲書を参照してください。制作から、完成に至るまでよく分かります。また、余談ですが、映画監督という人種はなんとエネルギッシュなのだろう、と思った。


乙羽信子はさすがに役者である。病気の気配を少しも感じさせない演技。杉村春子とのからみの演技が素晴らしい。
舞台で何度も共演しているせいか、非常にこなれた感じだ。実際に、役者として親しい付き合いをしていたので、映画の設定が自然な空気のように二人の間には漂っている。


「生」と「性」、「老い」と「若さ」がよく描かれている。生きることって何なんだろう、生き甲斐って何なんだろう、といやでも考えてしまう映画であった。

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食事は楽しく

食事をするのに堅苦しいのは、閉口だ。だからといって、好き勝手に食い散らかすような輩と同席するのはもっとイヤだ。どんな国・民族であれ、独自の文化を持っているように、食事についても独自のマナーがある。
例えば、よく知られているところなら、日本では御飯茶碗は手に持って食べるが、朝鮮半島ではそれはマナー違反。御飯茶碗は、テーブルに置いたまま食べる。日本人からみたら行儀が悪いと感じる食べ方だ。


だからというわけではないが、よそ行きの顔で食事をしなければならないとき−冠婚葬祭が代表ですが−、和洋中の食事のマナーを知っておくのは、大人として当然なのではないだろうか。
テーブルマナー講座なんて言葉を聞くと、「気取るな!」とか「気障だ!」と考える人もいるかも知れない。けれども、最低限のマナー−例えば、スープや魚の食べ方−も知らないようでは、当人は良くても周囲の人が不愉快だ。


なにも小笠原流礼法を完全マスターする必要はない。でも、楽しく美味しく食事はしたいもの。
緊張の余り、何を食べたかわからないでは、せっかく覚えたマナーが、本当の意味で役に立たない。楽しく和やかに会話しながら、食事をするためにマナーはあると思いたい。
だから、箸使いのタブーくらいは覚えているといないでは、相手に与える印象も随分違うのではないか。


イタリアやフランスの映画を観ると、レストランや家庭で美味しく正しいマナーで食事している場面に出会う。
そんなのを観ると、マナーとは、食事を楽しく演出するもの、と実感する。
テーブルマナー講座というと堅苦しそうだけど、皆が楽しく過ごすための方法と考えたら、幾分気安く考えられるだろう。