『対岸の彼女』(文藝春秋)角田光代

対岸の彼女


beatleさんのご紹介の書籍。先日たまたま入った古書店にて遭遇。これも何かの縁と思い、すぐさま購入し、読んでみた。

主人公は、小夜子と葵。専業主婦と独身の会社社長。

小夜子はいつも集団に馴染めず、娘のあかりも同様だ。一方、小夜子の目から見た葵は、全然違う人生を歩んでいる女性だ。
就職もせず、結婚もせず、起業した女社長。共通点は、年齢(35歳)と大学の同窓という点だけ。
「そんな2人が出会いお互いを理解しながら友情をはぐくむ」という陳腐な話ではない。あえて言うなら、「傷つけあいながらも、というより斬り結びながらも−こう言った方が適切−2人は友情を築いていく」となる。

物語は、現在(35歳)の小夜子が中心の章と高校生の葵のものとが、交互に配されている。
その効果は、全く共通点がないと思われていた2人が、高校時代は鏡に映したお互いの姿だった、と解釈できるところにあるのではなかろうか。キイワードは「ナナコ」。葵の高校時代、唯一の友だ。一見、葵とは正反対の彼女、でも実は…。

小夜子が勤めに出ることにからんで、「嫁姑」「ジェンダー」「少子化」「育児」という今日的社会問題にシフトできそうだが、それらは物語を展開するに当たってのスパイスの役目をしているにすぎない。

著者の角田光代は、tougyouさんのご指摘にある通り、「「孤独」を、気分としてではなく、彼女の血や肉にまで消化して、深く感じとっているのではないか」と思う。

その「孤独」をテーマとして考えると、この物語の真の主人公は「ナナコ」なのかもしれない。
彼女を介することにより、「孤独と共生」「生と死」「死と復活」の模索を取り扱っているといえる。

女性読者が多いと思うが、それではもったいない。男性も一読を。特に、既婚・子持ちのあなた、是非是非。