魯迅『故郷』(「阿Q正伝・狂人日記」所収 岩波文庫)と現今の中国

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)


中学3年の国語教科書には、魯迅の短編『故郷』を収録しているものが多い。
そのため、仕事柄、この短編は既に100回以上読んでいる。ある意味。大好きな池波正太郎の小説よりもたくさん読んでいることになる(笑)


この小説に描かれる旧中国は、儒教を媒介とする封建社会。好むと好まざるにかかわらず、人は身分社会に身を置かなければならなかった。
重税に苦しむ農民は、子供時代の天真爛漫な姿を失い、ただあくせくと生活に追われ「心が麻痺」してしまう。


魯迅は、そんな民衆に「希望」を持たなくては、と願う。しかし、それもただ願うだけでは「手製の偶像」にすぎない。
「地上の道」のように、「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」として小説を結び、同じ「希望」を多くの人が共有することを訴える。


小説は、1921年1月に執筆されている。
中国自体は、その後も、帝国主義諸国により半植民地状態が続く。
そして、1937年の日中戦争から、国民党と共産党の内戦を経て、1949年現政府である中国共産党政権が誕生する。


80年代初頭、この小説を教材として中学生と共に読んだときは、いかにその当時の中国民衆の生活が大変だったかを解説したのもだ。
文革終了後の経済改革の進展で、一見、中国は豊かになっている。
毎年の経済成長もたいしたものだ。上海を始めとする沿岸の都市部に住む人の中には、日本の平均的サラリーマン家庭よりもはるかに裕福な生活をしている。


さて、その一方で魯迅の描いた農民はいなくなったのか?
昨年来、NHK製作のシリーズものの『激流中国』を観ると、魯迅在世当時とは違った意味での「身分社会」が生まれている予感がする。


いつの世も、理想の実現は一筋縄ではいかない。
社会に矛盾はつきものだ、と現実主義を気取っても、抑圧される側の不満は高まるばかりだ。


10代の頃から、中国の歴史や文化に愛着を持つものとしては気がかりな現実だ。


まあ、年金問題や老人医療の問題を考えたら、日本の政府もかなり頼りない。
けど、今のところ、自由に批判したり、選挙で政権を選択できるのだから、まだましか?