『新しいもの古いもの』(講談社文庫)池波正太郎

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久しぶりに池波正太郎の未読のエッセイ集を読む。既に物故されて早いもので15年をとうにすぎている。
20代からのファンとしては、新作が読めないことは淋しい限りではある。
しかし、池波正太郎の書き残した膨大な小説・エッセイの類は、再読・再々読・再々々読しても色あせないで、新たな楽しみを提供してくれる。


最近は、『鬼平』シリーズを読み返しているが、先日行きつけの書店で上記の『新しいもの古いもの』というエッセイ集を見つける。


新聞・雑誌・芝居のパンフレット等に寄稿したごく短い読み物中心の構成。その中でも特に興味を引いたものを2・3紹介する。


まず、「京都のバラエティーを楽しむ」。これは、「週刊朝日・昭和51年11月1日号」に掲載。
編集部からの注文は

金二万円で、京都の一泊二日の飲食を、
「賄ってみてもらいたい」

とのこと。無論、宿泊費と交通費は別。


対して、池波正太郎は「私なら金一万円でも、一泊二日の京の食べ物をたのしむことができる」としている。
そして、植物園から上賀茂界隈と三条通界隈を紹介している。
流石に頻繁に京都を訪れていただけあって、一味違う京都案内だ。


また、「『ザ・アマチュア』の説得力とリアリティ」の一編は、映画の解説。
これがまた素晴らしい。単に、サスペンス映画である、という解説ではない。
作家・劇作家の目を通して、その構成や役者の見せ方を分析。
読みながら、知らず知らずのうちにその作品にひとかたならぬ魅力を感じてしまう。


さらに表題にもなっている「新しいもの古いもの」では、

世界も日本も、いまや「共存共栄」を目指す時代となった。
国も、人もである。
だが、それが、いかにむずかしいことかを、人びとは思い知らされることになるだろう。
むずかしいが、これほど、たやすいこともないのだ。それを知りながら、それができない。
たうまり、それが人間の世界なのだ。

地球温暖化」「投機による石油価格の上昇」「食品偽装」などなど。
さまざまな難題に直面している現代を眺めるとき、池波正太郎は21世紀の現代を予見していたのか、と思えてしまう。