「電報」の思い出

電報というと、近頃は、祝電や弔電といったものでしかお目にかかることがない。
ネットはもちろん、電話だって、完備していなかった時代、電報は急な連絡をとる唯一の手段であった。
明治・大正期の小説を読むと、「電報」=「不幸な知らせ」というイメージがある。
例えば、武者小路実篤の『愛と死』でも、許婚の突然の「死」を知らせたのは電報だ。


ボク自身、東京から京都に移った当初、オンボロ借家で一人暮らしてた。
当然(ビンボウ学生だったから)電話はなし。古典的ながら、家族や友人と連絡手段は手紙、である(笑)


その当時、電報で一度だけ「ドキリ」とした経験が……。
ある晩遅く、京都は木屋町の安い居酒屋で友人と飲んだ後、帰宅。
ポストを覗くと、なにやらある。「?」と手に取る。すぐに電報とわかる。
酔った頭には、いやな想像が……。「誰が亡くなった?」という思いがよぎる。
「そういえば、下妻の祖父も80歳を越えているし……」「伯母は、以前、入院してたなあ」等々。
しかし、文面を読むと、当時所属していた研究会で、翌月に「書評を発表せい」との依頼。


他大学の方からのもので、ボクに連絡を取ろうとしても名簿には住所のみ。
電話番号が記されてない!
で、大学の研究室に電話を掛けた。けど、ボクは不在。


その日は、午後から古書店巡り。そして、本を抱えて居酒屋へ直行。安酒飲んで、おでんやら肉じゃがやらを食べていたのですから、そりゃ連絡は取れないはずだ(携帯の時代からは、信じがたいことですが……<苦笑>)


普段なら、伝言となるのだけど、そのときはすぐに案内状を出す関係で「とても急いでいた」とのこと。
よって、電報となった次第。
読むや否や、慌てて近所の公衆電話に走るボクであった(笑)


緊急の連絡、といった当初の役割は譲ったものの、現在でも電報はお祝い時やお悔やみで大いに活躍している。
実際、遠方の親戚・知人・友人に不幸があったとき、毎回弔問することは不可能なので、必然的に弔電を打っていた。
これまでは、某NTTのサービスを利用していたが、「For-Denpo」というサイトでは、メッセージだけでなく、台紙や箱のデザインが選べたり豊富なサンプルを用意していることがわかった。
ちょっと「チェック」である。