『天然コケッコー』'07 山下敦弘/監督 くらもちふさこ/原作 渡辺あや/脚本

<出演>夏帆岡田将生夏川結衣佐藤浩市柳英里沙
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島根県浜田の過疎の分校の中学生が主人公の物語。素朴な中学生の姿が生き生きしている。
特に、異性に対する思いや都会に対する好奇心を過不足のない演出で見事に表現。

<あらすじ>
山間の分校。小学校と中学校は同じ校舎の中にあり、全校生徒はたったの6人!
右田そよは唯一の中学二年生。初夏のある日、東京から転校生・大沢広海がやってきた。期待に胸を膨らませるそよは仲良くなろうとするのだが、ついつい冷たい態度をとってしまう。
海水浴、神社の境内で初めてのキス…、そして春が来て、みんな1学年進級した。楽しみにしていた修学旅行は東京。広海が育った街を始めて見ることが出来て喜ぶそよだった…。
天然コケッコー - goo 映画

田舎育ちの素直な少女と東京から来たちょっとヒネてる少年のほんわかした恋を中心に物語は進む。そこに、少女の父と少年の母、この二人の微妙な関係が物語りにアクセントを与えている。


なんと言っても、夏帆がいい。とても魅力的に撮られている。
かつて、大林宣彦が10代の女優−小林聡美・原田知代・富田靖子石田ひかり−を見事に撮ったことを思い出す。


最近視たTVドラマ『不毛地帯』に較べると、無駄な台詞を排して役者の表情や身振り・素振りで状況を説明する。
だから、若い役者の演技力の不足さを感じさせない。
監督と脚本家の技が冴えているなあ、と感じる。


欲を言えば、夏川結衣佐藤浩市の出演シーンをもっと観たかったなあ。
夏川の短い場面で見せる表情の変化が、素晴らしい!彼女の出演している作品をもっと観たくなった(笑)


また、この作品は、tougyouさんbeatleさんの感想が切っ掛けとなり鑑賞しました。お二人に感謝いたします。

東寺〜梅小路公園〜壬生寺

10月に入り秋風の吹く季節になりました。紅葉にはまだまだですが、恒例の京都散策を10日(土)午後に決行?してまいりました(笑)


まず昼食を近所のネパール料理屋「サムジャナ」http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26012731/で食す。

毎度のことながら、このお店のナンはほんのり甘くかつ巨大[e:734] 今回は、3分の1程残してしまう。(残った分は、袋に入れてテイクアウトしました)


さてさてお腹も満たされたので、散策開始です。
本日は、「九条住本寺」-創建が室町時代初期の日蓮正宗系寺院-に行こうと計画。
さすがに、往復の徒歩はしんどいので、百萬遍まで歩いてそこから市バスで京都駅に。


京都駅から徒歩約10分で目的に寺院に到着。でもガッガーン、「何やねん、この建物は……」
味も素っ気もないコンクリの建物だ。歴史を感じさせるもの、一切なし!
そこで、方角を西にとり「東寺」に向かって歩き出す。



時間帯によって、雲が出ていたりしたので、上の写真は暗めですが、まだ午後の2時過ぎ。



さて南大門から境内に。




国宝の「金堂」、重宝の「講堂」と進み、これまた国宝「御影堂(ごえどう)」に向かう。


故・司馬遼太郎氏は、ここの前で知人友人と待ち合わせをすることが好きだったとの由。
寝殿造り風の建築は、14世紀に一度焼失し、再建されたものである。
弘法大師空海が実際に住居としていた建物ではない。
が、南北朝期のものであるので、自ずから染み出る風格を感じる。


東寺は正式には「教王護国寺」であるのだが、「東寺」という呼び方も「創建当時から使用されてきた歴史的名称」とのことで、一般的に「東寺」の方に馴染みがある。
東寺真言宗の総本山で、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録されている。


さて、東寺を後にして梅小路公園に向かう。

ここは、貨物専用の駅(梅小路駅)の跡地に作られた京都市営の総合公園。
隣接して梅小路蒸気機関車館がある。
ベンチに座り、午後の日差しを浴びながら一休み。実に気分がいい。


公園内を散策してから、中央卸売市場を通って、壬生寺に。


この近辺、京都に来た当初住んでいた処だ。懐かしいが、随分と町並みが変わった。
それでも、神社仏閣は変わらず同じ場所に。よって、迷子になることはありません(笑)


壬生寺は、創建が正暦2年(991)で宗派は律宗
ここも古い寺院なので、寺宝には室町期のものがいろいろとある。
伝統芸能の「壬生狂言」がしばしばローカル局で取り上げられる。
でも、全国的には「新撰組」ゆかりの寺として有名だ。境内には隊士の墓があり、観光客が絶えない。


ゆっくりと寺宝の鑑賞をしたかったのだが、閉まる時間が迫っていたので、今回は諦める。 (また散歩がてら来たらいいか)
その後も歩いて、三条商店街から河原町通り方面に歩き、いつものCDショップで試聴。
暗くなる中、鴨川沿いを歩いて帰宅。流石に、今回はよく歩いたので疲れたなあ。

『鬼婆』'64 新藤兼人/監督&脚本 

鬼婆 [DVD]
出演:乙羽信子、吉村実子、佐藤慶殿山泰司


以前から気にかかっていた作品。昨年、TV番組のインタビューで新藤兼人は、「(映画で
描くのは)人間の生と性」だと言っていた。その言葉がぴたりとはまる作品である。

<あらすじ>
時は南北朝、戦乱にふみにじられた民衆は飢え、都は荒廃し民は流亡した。芒ケ源に鬼女が住むと噂されたのもその頃である。芒ケ原に二人の女が棲んでいた。中年の女と、その息子の嫁は、芒ケ原に流れてくる落武者を殺し、武具類を奪っては武器商人の牛に売って生活を支えていた。
それは戦争に男手をとられた彼女たちの唯一の生活手段であった。


或る夜、若い男・八が戦場から帰り、中年の女の息子が死んだと告げた。この話は二人の女にとって打撃であった。若い女は、今迄耐えていたものを、八の小屋で逢びきを重ねてまぎらわした。中年の女は、働き手を奪われる怖れと、嫉妬から、嫁をひきとめようとしたが効き目がなかった。


ある夜、芒ケ原に六尺豊かな敗将が迷い込んだ。鬼の面をつけた敗将に道案内をこわれた中年女は、敗将を芒ケ原の大穴に突き落してその鬼面を奪った。芒ケ原に鬼が出没し始めた。
若い女は恐怖にかられたが、八に逢いたいばかりに芒ケ原をひた走った。八に逢った女は小屋に戻って土間にうずくまる異様なものに気づいた。見れば鬼である。


仰天する女に、「この面をはがしてくれ!」と哀願する声は、義母の声だ。鬼の正体は義母だったのだ。夜毎芒ケ源でおびやかされた恨みに勝ちほこる若い女は、男と会うことを許すという条件で、鬼面をはがしにかかった。しかし、面はぴたりと顔についてビクともせず、中年の女は悲鳴を上げた。木槌をとって面をたたく若い女の手の下を、血が流れていった。ようやくはがした面の下から、義母の顔が鬼の顔となって現われた。若い女は顔を見るなり義母の手を振りきると、狂気のように逃げていった。とれたとれた!と喜こぶ義母は、わけもわからず若い女のあとを追った。
血のしたたる中年女は鬼婆となって芒ケ原を横ぎっていった。
鬼婆(1964) - goo 映画


馬場あき子『おんなの鬼』によれば

表現としての鬼と女とは、最も遠い対極でありながら、内面的な働きという一つの円環の中では、思いがけぬ近さの背中合わせの距離になっていて、極から極への異質な遠さは、実は一瞬の飛躍によってたちまち変質のとげられる表と裏の関係であったりするのだ。

となる。このように、まさに「鬼」とは地獄にいるものでも、どこかの島に住んでいるのでもなく、人間が「心」に宿しているものなのだ、と感じる。


息子の死を悲しむものの、残された嫁に捨てられては生きていけぬ。それ故に、嫁を縛りつけようとする。その鬼気迫る様は、まさに「鬼」そのものだ。だが、それは「生」と「性」の欲の裏返しでもあるのだ。


食欲・性欲を含む全ての「欲」とどのように向き合っていくのか。ある意味、世界宗教と呼ばれるものは、このことと無縁ではなかろう。


個人的な体験であるが、若い頃、某巨大宗教団体の一員として活動した時期がある。
仏教系の団体であるから、「因果応報」や「宿業」とかいったことをよく言われた。
我見や個人の「欲望」に支配されて生きることの過ちも教えられた。


組織が大きくなればなるほど、網の目のように組織が構築されていく。それは理解できる。
加えて、未完成な人間の集団だから、いくら信仰を持っていたにしても個々人に欠点のあることは致し方ない。


しかし、幹部の権威をかさに着て「いばりちらす」のにはどうにも閉口。
ボクのする、組織にとって「都合の悪い質問」には黙殺。挙句の果てに「問題人物」としてマークされる!


さらにさらに、その最高指導者の御仁の「私生活」や裏でやっていた「違法行為」に……。
信仰のかけらもない大幹部や最高指導者に嫌気がさした。(末端には純真かつ善良な人が多いのですけど……)
ということで、ドロップ・アウトと相成る。(それでも、仏教自体には今でも関心有り)


まあそんな若い頃の経験を踏まえて、「欲」というものから逃れることは、いかに困難なものかを考えさせてくれる作品であった。

「奥琵琶湖方面の旅」青春18切符の旅 其の一

遅ればせながら、この夏の旅行記でございます。


青春18きっぷ」を利用して滋賀県北部の長浜・木之本&余呉湖を旅してきました。
当初は、尾道を旅することを計画したのですが、休みに入った1日目と2日目は雨に祟られて、あえなく中止。3日目に行こうかと思いましたが、あまりの蒸し暑さに広島方面に行くことに「心が萎え」てしまいました(苦笑)


遠出をしないで、読書三昧の休暇でもいいかと思っていたのですが、せっかく購入した「青春18きっぷ」が無駄に……。そこで、急遽、連れ合いの提案により、8月15日に滋賀県北部の木之本と余呉湖に行くことになりました。


さわやかな朝。早起きして、京都より木之本に向う。ここは、北国街道沿いの宿場町で、以前から行きたかった場所だ。
移動手段は、バスと電車。午前7時半に京都駅着。構内で、朝食のお握り、パン、そして飲み物を購入。
8時前に新快速に乗車。


のんびり車窓の景色を楽しみながら……、という思惑は見事に砕かれる。
なぜなら、車内は、体育会系中高生がてんこ盛り(正直、暑苦しい!)。
どうやら長浜の近くで大会があるようだ。


まあ、外を見る代わりに読書してたし、お行儀のいい中高生ばかり−奈良の某有名進学校の生徒−だったので、不快ではありませんでした(笑)


長浜駅で乗り継ぎのため30分程度時間があったので、改札を出て琵琶湖に。本日は、さほど暑くなく、湖上からの風が心地よい。
大津あたりで見る琵琶湖とは、違った趣がある。「湖」ではなく「海」という感じ。


その後、木之本駅に無事到着。まず自転車をレンタル(1日¥500)を借りる。←安さにニンマリ!


かるーく街を1周。ここは、良質な地下水がでるので、造り酒屋や醤油店がいくつもある。
本当なら酒蔵巡りをしたいところなのであるが、今回は余呉湖(琵琶湖の北側に位置)の湖畔を自転車で回る計画。
ということで、泣く泣く造り酒屋を素通り(苦笑)
昼食は、事前に調べておいた料亭「すし慶」でいただく。
このお店の斜め前には「馬市宿」があった。
ここで、戦国武将の山之内一豊の妻が馬を購入したところ、とのこと。とりあえず1枚パチリ。


今回の楽しみの一つ、「すし慶」での昼食。




いやあ、とても美味しい料理でした。特に、鯖寿司は、絶品!
肉厚で柔らかく、酸味は控えめ。山椒の香りが口中に広がり、鯖の味を引き立てる。
京都にも鯖寿司の名店は多いのですが、個人的には、このお店の鯖寿司が一番ですね。


料理だけでなく、店内もなかなかのものでした。
まず入り口で↓の鐘を叩いて、案内をこう。


そして、待合室で料理の注文をして、しばし待機。


仲居さんに呼ばれて、食事をする大広間に移動。


お腹も満たされ、さあ自転車で余呉湖に。
途中こんな↓ところを通過。


途中追い越されたりすれ違うことも、ほとんどなく約30分後に余呉湖に到着。
涼しい風に吹かれ、心地よく湖を1周。


その後、木之本駅に戻り、敦賀まで出る。
敦賀で夕食を食べてから、敦賀発の新快速にて京都に。
往復の車中、たっぷり読書できたので、なかにし礼『赤い月』を読了できた。


午後8時半過ぎに京都駅に。辺りはすっかり夜でした。


青春18きっぷを利用したので、交通費は安く上り、金食い虫?の娘もいなかったため、思いのほか格安の日帰り旅行でした(笑)

今年の祇園祭も暑かった!

木曜日、祇園祭宵山に連れ合いと共に行ってまいりました。毎年のことですが、街は暑かった!
特に、人気の鉾の周囲は見学の方々の数が半端ではなかった。
さらに、屋台では、お好み焼き・たこ焼き・唐揚げ・串焼き等々、プロパンガスの火による熱が、これまた凄かった。


ということで、今年はいわゆる人気のある鉾は「長刀鉾」のみ見る。と言っても、立ち止まって見ることはできません。山鉾を代表するものなので、外すわけにはいきません(苦笑)
長刀を鉾の頭上にいただいた雄姿は、やはり祇園祭の象徴の一つに相応しいです。



人ごみにもまれながら、烏丸通まで行き、そして凄い人出の中を南下。高辻通りを東に進み、ここからあまり有名ではない「鉾」や「山」をのんびり見て歩く。


まず、高辻通りを室町通りのところから北上。「白楽天山」へ。唐代の詩人・白楽天に因んだ「山」です。


そして、綾小路通りを西に進んで「綾傘鉾」に。大きな傘に特徴があります。


綾小路通りを西行して、「伯牙山」に。中国の周代、琴の名手・伯牙の故事に因んだ「山」。


さらに、西に進んで、「芦刈山」へ。この「山」は、世阿弥作と言われる謡曲「芦刈」に基づいたもの。特に、ここでは胴懸けに目がいきました。「豊公獅噛鳥獣文様 錦織」です。製作は、平成元年2年(1989,1990)と新しいのですが、文様の生き生きとした様に思わず見入ってしまいました。



油小路通りを下がって、「油天神山」。古くから町内に祀られていた天神に因んだ「山」。油小路通りにあるから「油天神山」だそうだ。


そして、また南下して「太子山」へ。この山は「聖徳太子」に因んだもの。


再び高辻通りに出る。途中、名も知らぬ路地を通って仏光寺通りにある「木賊山」へ。世阿弥作の謡曲木賊」をもとにしたもの。


仏光寺通りを東に進み、新町通りを南下。「岩戸山」に向かう。この山は、鉾と間違うくらい豪華です。名から想像できるように、天の岩戸に因んだ神話から山の名がついています。


その後、再び高辻通りに戻り東行。河原町通りに出た時、たまたま市バスが来ていたので「渡りに舟」とばかりに乗車。帰宅しました。


昨年の宵山は、四条通の北側を中心に回ったので、今回は南側の「山」と「鉾」を見て回りました。
今年も元気に連れ合い共々、歩き回れたことを喜びたいですねえ(笑)


もし他府県の方が、祇園祭に来るなら、……。
「山」や「鉾」をじっくり見るなら、人出のまだ少ない昼間のうちのほうがいいです。
でも、暗がりに浮かぶ提灯の明かり。聞こえてくる祇園ばやしの音色。
全体を詳細に見ることはできなくても「山」や「鉾」の歴史や伝統の重みを感じることができます。
これぞ「祇園祭」という雰囲気を味わうことができるのは、やはり夜ですねえ。
周辺に屋台がなければ、もっといいのですが……(苦笑)

お出かけの際は、日焼け止めクリームを


梅雨に突入したとはいえ、今年は晴れ間も6月中に多く見られる。
こんなときは、部屋でじっとしているのではなく、新緑に囲まれた森の中のベンチに座り読書といきたい。


ただ気になるのは、紫外線。若い頃は、全くそんな知識がなかったけど、やはり皮膚ガンが心配だ。
連れ合いや娘は、外出の際は日焼け止めクリームを塗っている。


女性ばかりでなく、男性も日焼け止めが必要とは思っていたものの……。
日焼け止めのクリームは、白くなったり、粉っぽくなったりが苦手で敬遠していた。
しかし、大塚製薬から新発売の「ウル・オス日やけ止め」は、肌がカサカサしない、とのこと。


で、試してみたら、確かにその通り。よって、お出かけの際には利用している。
全然べたべたしないし、香りもほのかで、不快感が全くない。
それに、日差しの強い日に外出した後の肌のほてるような感じがしない。
これならば、使い続けても良いなあ、と思う、今日この頃である(笑)

キンキンキラキラだったパレード


先日の土曜日に家族でUSJに久しぶりに行った。
夕方から行ったため、あまりアトラクションは楽しめませんでした。
でも、「ジェラシック・パーク」「ジョーズ」といったところは抑えておきました(笑)



今回の主な目的は、(娘のリクエストで)「マジカル・スターライト・パレード」を見ること。



キンキンギラギラとなかなか華やかでした(笑)
個人的には、なんでUSJにキティちゃんがいるのかなあ?と思いましたが……(笑)
今流行?のコラボというやつでしょうか?